私は、10代のときに鬱のような症状に悩み、心療内科へたびたび通うようになっていました。
症状の原因は、今きちんと振り返れば、始まりは父親のうつ病で、その影響だったかなと存じます。
(当時は、親が離婚したり、環境の変化も続いたりで、いろいろと大変だったので……。)
父親のうつ病は、恐らく働き過ぎなどだと思いますが、大人になった今思えば、恐らくもっと何か原因があったのだろうと思います(重度のうつ病と言われていたようで、パニック障害とアルコール中毒も併発していたようで、結構子供ながらにも見ていて苦しかったです)。
私の方は、恐らく心療内科から処方された薬を飲んでいるときだったと思いますが、あの変な気分の悪さや眩暈がすっかり無くなりました(塩分を摂るようになって、低血圧などが改善されたからという面もあるかもしれませんが)。
精神薬のようなものは危ない、という話は昔から結構周知されていたのかなとは思いますが、一応私を担当してくれた医師も、薬の処方についてはあまりいい顔をしておりませんでした(確か私が薬を欲しがったので……)。
初めの頃に処方してもらった薬は、恐らくうつ病の人向けというよりは、躁病みたいな人向けのものだった記憶もあるのですが、その後、睡眠剤や抗うつ薬のようなものも処方されるようになってはいました。
家庭へのストレスからなのか、それともやはり薬の副作用か何かなのか、一応初めの頃は結構家で突発的にクッションを投げたりと、不可思議な行動はありました。
(体感としては、年齢的なものも合わさっていたのかなとも思います。私は今信仰を持って10年ほどで、30歳を超えているのですが、30歳を超えたときからさらに精神的に何か落ち着いたような感覚はずっとあります。精神系?の方でも、年齢的なものというのは、結構言われているらしいですね……。)
私としては、やはり新約聖書にもありますように、信仰の力で病が癒やされたと、強く確信しております。
私が信仰を持てたのは、祖父が英語教員だったことや、地域柄(沖縄です)キリスト教が本土に比べると多いかなということなどが大きいと思いますが、一応子供の頃からずっとキリスト教の神様を追い求めていたところはありました。
(特に両親が離婚した当時は本当にいろいろと最悪でしたので……。キリスト教に反するような生き方をしてもろくなことはないと、ずっと思いながら生きてきた節はありますが、自殺が罪などは知らず、聖書を読んだり信仰生活をしたりということは全然しておりませんでした。)
さらに不思議なのは、メンタル系が信仰で癒やされるのは何となく分かる気もするかもしれませんが、私の場合は当時数年ほど悩んでいた蕁麻疹もあっさりと治ってしまいました……。
これは本当に食生活を変えたとか、そういうことでも説明がつかないので、私としては一番不思議なことかなと思っております!
信仰を持ってからは、私の至らなさゆえに躓くことも多々ありましたが、今もこうして無事に信仰を持ち続けられているのは本当に奇跡だと思います。
特に、日本の社会システムや結婚について私は今関心が強いのですが、これは一応信仰を持つ前から疑問に思っていたことではあるものの、これまで信仰を持ち続ける上で大きな障壁になったかなと思っております。
私の場合、精神的に滅入ってしまったのは、かなり家族の影響が大きいかなと考えておりますので、先祖の義あるいは罪というものも、深く考えながらの信仰生活ではありました。
イエス・キリストが現れた当初も、イエス様を神様から遣わされた方なのだという信仰を持つことで、病が癒やされた人々が多くいたのですが、今の時代も、RAPTさんこそが聖書で預言された使命者の方であられるのだと信仰を持つことが、とても重要です‼︎
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“信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。“
新約聖書「ヘブライ人への手紙」11章1節
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“そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。“
新約聖書「ヨハネの黙示録」19章11節
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また、RAPTさんは、御言葉の中で、「なぜイエス様がパリサイ派たちによって処刑されることになったのか」ということについて、とても分かりやすく現代に生きる私たちにも教えてくださっています。
イエス様を処刑したパリサイ派のユダヤ人たちというのは、「高慢」という心の罪があったのだそうです。
それゆえ、イエス様が現れ、真理を宣べ伝えられるのを見て、歯噛みし、嫉妬に駆られたのだそうですが、確かに新約聖書を読むと、その有り様が克明に記録されております。
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“そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。“
新約聖書「ヨハネの黙示録」27章16-18節
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日本ではあまりキリスト教が広まっていないので、プライドが心の罪であるということはあまり認識されていないかなと存じますが、ある意味心の罪というのは感情のようなものだともRAPTさんは仰られており、つまりはその感情によって人は目を曇らせることもある、ということを私は学びました。
私は信仰を持ち初めの頃、「高慢」の罪についてRAPTさんからご指摘いただいたことがあり、その当時以来、「高慢」について気をつけて生活してきたのですが、これはどうやら恐らく日本の風習とも関係がありそうだと、私はこの頃考えております。
日本という国は、大昔に出雲族という悪魔崇拝者が、偶像崇拝を持ち込んだようで、それが現代まで続く「スサノオ」「アマテラス」なのだそうです。
○「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。
○「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
仏教も持ち込まれてはいますし、意図的に上級国民であるユダヤ人が聖書に反逆するために広めているようでもありますが、どうやら偶像崇拝というのは、「高慢」ということとも関わりがあるようです。
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“反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。“
旧約聖書「サムエル記上」15章23節
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実際に、「高慢」の罪ゆえに神様に従わず、悲惨な運命を辿ることになってしまった人物が聖書には登場しますが、「このくらいいいだろう」と思っていることが、のちに大変なことになるということを学びました。
○RAPT有料記事169(2017年5月6日)小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実だ。
また、神様は、「これまでこの世には、神様の愛について教えてくれる者がいなかったため、誰もが心の奥底に深い孤独感を抱え、自分は欠点だらけだと思いながらも、素直に自分の欠点を認められない心頑なで、高慢な人間になるしかなかった」ともお伝えくださっております。
○RAPT有料記事489 (2020年8月10日)主の愛を受けて生きる人は、主が必要なものを全て与えてくださると信頼しているので、本能と欲望の赴くままに生きる必要がない。
RAPTさんのお伝えくださっている御言葉に従って、神様から愛を受けられるようになると、まずは孤独感が消え、「自分は欠点だらけだ」という劣等感もなくなっていきます。
そうして、自分に自信を持って生きられるようになるので、自分の欠点が見えたり、自分の欠点を誰かから指摘されたとしても、素直にそれを認めて直すこともできるようになると思います。
実際に私は、「後ろ指を指されるのではないか」というような恐怖感からは解放され、決して開き直ったり胡座をかいたりするのではなく、真に成長していこうと考える人間へと変わったかなと感じております。
○すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。
○RAPT有料記事53 (2016年3月26日)自分の足りなさをどれだけ認められるか。
先ほどご紹介した『RAPT有料記事489 (2020年8月10日)主の愛を受けて生きる人は、主が必要なものを全て与えてくださると信頼しているので、本能と欲望の赴くままに生きる必要がない。』の中では、神様の愛を知らない人間のことを、人からの愛を受けない犬にたとえてお話されています。
人からの愛を受けない犬は、本能のままに生きるしかないですが、人からの愛を受けた犬は、主人が自分に必要なものを全て与えてくれると信頼しているので、自分の欲を満たすためにあくせく生きることをしなくなるのだと。
このことについては、こちらの十二弟子のNANAさんの証もおすすめです。
○ 「野良犬」のような生から「飼い犬」のような生へ!(十二弟子・NANAさんの証) | RAPT理論+α
それでは、少しでも多くの方にお役立ちできることをお祈りして、今回は以上とさせていただきます。
最後までお読みくださり、誠にありがとうございました!


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