真の平和と、幸福と……(競争社会についての御言葉です)

一部引用……と言うには長すぎるのですが、もうぜひ全て読んでいただきたいくらいの内容ですので、よろしければぜひ。

RAPT有料記事291(2018年7月7日)神様の世界では誰が最も愛するかという競争をするから、競争が激しくなればなるほど平和が作り出される。

以下、上の御言葉より引用です

“イルミナティが支配する世界では、私利私欲を追求して手に入れた者が勝者として讃えられ、敬われ、崇められる。

だから、人々はどこまでも自己中心になり、私利私欲を追求する生き方をするしかない。

そうしなければ、敗者となり、人々から馬鹿にされ、ひいては生きる道さえ絶たれてしまうことになるからだ。

そして、勝者はますます自己中心になり、高慢になり、人を馬鹿にするようになり、人を虐げさえするようになる。

実際、この世の金持ちたちは有り余るほどの富を持っているにもかかわらず、それを人々にとって有益になるように使うことはなく、単にそのお金でさらなる私利私欲を追求したり、自分の富を誇示することしかしない。

その一方、敗者は自分が落ちぶれたことを嘆き、絶望と落胆と失望、底のない虚無感の中で生きるしかない。

そして、その敗者もまた自分が惨めで可哀想だとしか考えられず、他人のために生きようと考えることはない。

つまり、サタンの支配する世界においては、勝者と呼ばれる者も、敗者と呼ばれる者も、どちらも他人のために生きることがなく、愛のない心をもって生きるしかない。

そして、愛のない状態で人が生きるということは、それこそ人生において最も豊かに生きられる道が絶たれたと言っても過言ではない。

人が生きる上に置いて最も重要なものが欠けた状態で生きるしかない。

だから、勝者と呼ばれる者も真の幸福を味わって生きることはできず、敗者と呼ばれる者ももちろん幸福を味わうどころか、激しい絶望に苛まれるしかない。

富を得た者は、富を得たという満足感があり、この世で勝利したという達成感があるが、富を得られなかった者は、自分が何も持っていないという絶望のどん底に落ちる。

だが、私の目から見れば、どちらも人生を生きる上において最も自分を幸福にしてくれる要素を手に入れていない者たちなので、どちらも不幸な人生を生きているとしか言いようがない。

これはつまり、見た目だけ美味しそうな料理を手に入れたかどうかを競い合い、その料理を手に入れた者は勝者であり、その料理を手に入れられなかった者は敗者だと呼ばれるが、結局、その料理には何の味付けもされていないので、例えその料理を食べることができたとしても、全く何の満足感も得られないのと同じことだ。

そうだ。

愛のない人生は、全く何の味もしない料理と同じと言っていい。

見た目はどんなに美味しそうに見えたとしても、実際に食べてみると何の味もしないので、人によってはそれを吐き出してしまう。

そして、実際、この世の金持ちたちはどんなに金を手に入れて、自分のほしいものを次々と買ったとしても、結局、何の満足感も得られないので、いずれそれを誰かに譲ったり、誰かに売り払ったりしてしまう。

これは富だけでなく、名誉や異性など、この世の人々がほしいと思うものは全てそのようなものだと言える。

富も名誉も異性も、愛のある世界で手に入れるなら、それはどこまでも美味しく感じられるものだが、愛のない世界でいくら富や名誉や異性を手に入れたとしても、それらはただの味のない料理に過ぎず、場合によっては嫌になって吐き出してしまう。

そうだ。

人々はこの世の百年の人生を、ただ味付けのされていない料理ばかりを求め、食べているような人生を生きているのだ。

私の目には、彼らが皆そのようなつまらない人生を生きているように見えるのだ。

分かるか。

聖書に「神は愛である」と書かれてある。

そして、あなた^_^たちはこの神を今までずっと知らずに生きてきた。”

“しかし、私の世界で行われる愛の競争は、他人を蹴落とすようなことをすれば、それだけで愛のない者とみなされて裁かれ、より下のランクに落とされてしまう。

他人を蹴落とすことによって、愛のない者と見なされ、かえって下のランクに位置付けされてしまうことになるのだ。

だから、私の世界においては他人を蹴落とすことは許されない。

あくまで自分自身が他人よりも秀でた者にならなければ、決して上のランクに行くことのできない世界だ。”

“だが、私の世界における競争は、卑怯なことは絶対に許されず、卑怯なことをした者は必ず私から厳しい裁きを受ける。

だから、私の世界においては、競争に負けた者であったとしても、その人は決して悔しい思いをすることはなく、むしろ勝者からも大きな恩恵を受けられるので、敗者であることをそれほど苦しいとは思わない。

とはいえ、より愛した者がより多くの祝福を受けることになるから、敗者もまたもっと愛して豊かに愛することで祝福を受けようと努力するだろうし、その努力の中で他人を蹴落とす必要はないから、他人から憎まれることもない。

ゆえに、私の世界においてはどんなに過酷な競争をしたとしても、決して平和が壊されることがない。

あなたたちはそのような競争社会を今まで想像もしたこともなかっただろう。

競争社会というと、ときに他人を蹴落とし合うような厳しい世界しかあなたたちには想像できなかった。

だが、私の世界における競争は、激しく競争すればするほど、人々がより愛に満ち溢れるようになるので、どんどん平和な世界が作られていく。

その一方、この世の中の競争は、激しく競争すればするほど、人々から愛の心が奪われていき、誰も彼もが自己中心になっていくので、時とともにどんどん平和が壊されていく。

あなたたちはどちらの競争社会で生きたいと望むだろうか。

この世の競争社会で激しい競争をする者は、余りのストレスと疲れに苛まれて、常に癒やしを求めなければならないし、例え癒やされたとしても、すぐにまた戦場のような過酷な世界に入っていかなければならないので、その疲れはどんどん溜まっていく一方だ。

だが、私の世界においては愛する者が勝者となるから、より激しい競争をして愛すれば愛するほど、私からも人からも愛されるようになって、それによって自然と癒やされるので、いちいち癒やしのために時間を確保する必要がない。

ただ競争をしているだけで自然と癒やされる。

というより、競争をすればするほど癒やされる。

そのような世界こそが本当の天国ではないのか。

私がこの地上に実現したいと願っている地上天国とはまさにこのような世界だ。”

“この世の人々は平和な世界を作ろうとすると、すぐに競争のない世界を想像する。

しかし、競争をしない世界では、人はただ怠惰になるしかないし、怠惰な者たちがいくら集まったところでそこに平和は作られず、むしろ誰がどれだけ楽して得をするか、という歪んだ競争社会がかえって作り出されることになってしまう。

しかし、私が作る天国は、愛の競争社会であり、最も愛する者が頂点に立ち、最も豊かに祝福されるという世界だから、怠惰な者は下のランクにどんどん落とされ、勤勉な者がどんどん上のランクにのしあがっていく。

しかも、勤勉な者も決して他人を蹴落とすようなことはなく、むしろ他人を利することしかしないから、その人が頂点に立っても誰も文句が言えないし、言う気にもなれない。

その人によって多くの人が恩恵を受けたのだから、誰も文句が言えないし、言う気にもなれない。”

一日も早く、全ての人々が真の幸福と平和の中で暮らせる日が来ますことを、心よりお祈りします。

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